掲 載 一 覧 最 新 号
第二十二話「不思議な話」

 前回は父の臨終という重い話題を取り上げたので、今回は軽い話題を取り上げる。
私が専攻している医学は自然科学に属する。自然科学は論理的に説明出来ないことを否定することから始まり、又、事柄の変化を理屈で考えるのが原則だ。
医師である私は、当然の事として科学的に説明出来ない超能力的な現象、理屈にあわない事象は反射的に疑ってしまう。
しかし、趣味として私はマジックを見るのが大好きだ。どんなに超能力的に見えるマジックにもトリックが隠されている事は当然だろう。
只、テレビのマジックショーには、テレビカメラのトリックがかくされているかもしれない。カメラのトリックが介在しているとしたら、興味は半減する。ナマで見なければマジックの醍醐味は分からないと思う。
数年ほど前、私は家族6人でMr.マリックの超魔術ディナーショーを楽しんで来た。ディナーの後、Mr.マリックからのプレゼントとして各自にスプーンがくばられた。
いよいよ、マジック界の大御所Mr.マリックの舞台登場。簡単なカードマジックの後、お目当てのスプーン曲げの始まり。Mr.マリックの指示にしたがいながら、片手にスプーンの柄を持ち、3回ほどスプーン曲げの予行練習。
 
 いよいよ本番、会場の照明が不思議な色彩の閃光に変化、地獄から聞こえるような不気味な音楽が鳴り響き、Mr.マリックの異様な大声につられて、スプーンの頭に人差し指をかけ手前に引くと、不思議な事になんの抵抗もなく、私が手にしたスプーンがクニャリと曲がった。しかし、家族は誰もスプーンを曲げる事が出来なかった。正確な人数はわからないが、100人ほどの観衆の半数位のスプーンが曲がったようだ。
前もって曲がるような仕掛けがあったスプーンがまぜられていたと考えるのが自然だと思う。しかし、家に持ち帰ったスプーンはいくら力を入れても元には戻らない。6人家族の中で私だけMr.マリックの超能力にかけられたのだろうか?
私は、今でも釈然としない。
   
 
私が慶応幼稚舎(慶応の小学校)の2年生の時、浜田山(東京杉並区)に遠足に行った時にも不思議な事がおこった。距離、高さは不明だが、空中を真っ赤な火の玉が、ゆっくりと左から右の方向に飛んで行った。担任の先生、クラスの過半数が目撃した。担任の先生も何だかわからなかったようだ。
私の妻も20年ほど前、権太坂(保土ヶ谷)の崖の上から、はっきりと同じ様な火の玉を目撃したと言っている。
火の玉は日本人の40人に1人の割合で、目撃者がいるとの事だが、文献によると、“火の玉=人魂”というのは間違っていて、火の玉はある種の放電現象による発光だとの事だ。
 
更に昔、我が家でおこった不思議な話をご紹介する。亡くなった母が生前にくり返し語ったことだが、母の義理の姉が亡くなった午前4時に、セットしていなかった目覚まし時計が鳴ったと母が言い張る。「親の言う事は何でも信用するものだ。決して口答えをしてはいけない。」、と教育されていた私は、「目覚まし時計の故障?お母様の誤った思い込み?」、と母に疑問符を投げかける事はできなかった。今となっては、亡き母に問いただす事もできない。
私には、全てのことを反射的に疑って考える習性があるが、このことだけは母の言葉を信ずる事にして、深く詮索することはせず、矢野家の不思議な話として伝承する事とした。

  親を疑う事、即ち親不孝

             2011年8月1日
 矢野耳鼻咽喉科院長   医学博士 矢野 潮