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第四十四話「語学教育」
 私は教育者ではないので、語学教育について論ずることはできないし、その資格もない。私の過去の経験、現在体験している事を述べるだけだ。
数年前、日本を一人で旅行中のドイツ人が耳痛のため私のクリニックを受診した。彼は私の年代の医師がドイツ語教育を受けていることを知っていて、言葉については安心して来院したようだ。治療は簡単だったが、私には病気について彼に説明するドイツ語の会話能力がなかった。やむなく、カルテに医学用語をドイツ語で書いて病気の説明をした。
私達の医学部予科時代は、外国語の必修科目は英語で、ドイツ語、フランス語の内の一つが選択科目であった。正確には覚えていないが、ほとんどの医学生がドイツ語を選択した。現在はアメリカ医学が主流を占めているが、当時はドイツ医学が色濃く残っていた。我々に講義をする教授達がドイツ医学の信奉者が多かったためだろう。
医学部本科に進学するためには、語学の成績がかなりの比重をしめていたため、ドイツ語の勉強にはかなりのエネルギーを費やした。そのかいがあってか、辞書なしにドイツ語の原書を読めるようになった。しかし当時の語学教育では日常の会話を話せるようにはならなかった。
何しろ、最初に与えられたドイツ語の教科書は、モーゼの十戒(トーマス・マン著)だった。ヘブライ人(ユダヤ人)の脱エジプト記を習っても、ドイツ語で朝食を頼むこともできないし、患者さんと対話することも不可能だ。
院長余話第21話でふれた私の父は、慶応の普通部(中学)を卒業後、一人で渡米してコロンビア大学で学んだために、英会話は堪能だった。然し父の弟(私の叔父)は、慶応大学を卒業後ニューヨークにあった祖父の会社の支店で長年仕事をしていたが、アメリカ人と話をするのが嫌で、会社から外出できなかった(今でいう引きこもり)ために、けっきょく英会話を覚えられずに帰国したという。
語学教育の是非はともかく、外国語会話を完全に習得するには、数年間その匡に滞在するよりほかないようだ。そして、ひたすらにその匡の言語を聞き、しゃべり続けることが必要だ。
猫語レッスン帳(大泉書店)という本があるそうだが、私は現在“犬語会話”の習得に挑戦している。愛犬家の方には理解して頂けると思うが、愛犬プリンと対話したいからだ。犬(私にとっては家族)と会話できるようになるのには、ひたすら愛情をそそぎ続ける事が必要だ。そして互いに顔を見つめあいながら、くりかえし、くりかえし根気よく話しかけなければならない。プリンの方が私よりも学習能力があるようで、私の“話しかけ”を、ほとんど理解するようになった。残念だがプリンは犬なので、ウー、ウー、ウーとしか言わないが、そのウーには文章には表せないいくつかの違うトーンがある。食事が欲しい時、水が欲しい時、私の部屋に行きたい時、甘えている時、怒っている時、本格的に眠りたい時で、ウーのトーンが全て違う。今の私は全て聞き分けることが出来るようになった。

 私とプリンが何故、人間と犬という“異なる種”に生まれたのか残念でならない。
シェクスピアの名セリフを拝借すればーー


         2013年6月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮