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第59話「軍用犬
 爆発的な高視聴率をあげているNHK の連続テレビ小説“花子とアン”で、軍用犬の話が語られている。
私も、軍用犬で泣かされた事を思い出した。小学生の頃、東京の洗足に住んでいた我が家では、犬を2匹飼っていた。犬種はスピッツとサモエドの2匹だ。スピッツの名はチル、サモエドはナナと名付けられていた。ナナは文豪ゾラの“娼婦ナナ”から命名したという。多分、父親の考えだろう。
チルは小型犬だったために家の中で、ナナは大型犬だったので、庭で飼われていた。外犬のナナがある日突然姿を消した。その理由は私には知らされなかった。両親は最後まで明言しなかったが、姉がナナの悲劇をうすうす知っていた。大型犬のサモエドは、その毛並みの豊かさが仇をなし、国策によって軍隊に強制提供させられたらしい。毛皮を剥いで軍用に使用するために、肉は戦地で食料にされたのだろう。スピッツの方は内犬だったために難を免れた。
そして、1945年の東京大空襲。当時、私は鵠沼の別荘に疎開していたので空襲には遭わなかった。東京に残留していた両親、学校の都合で東京に居た姉の3人は丸焼けになった家から、洗足池に命からがら逃げたという。家族は無事だったが、スピッツは行方不明。多分焼死したのだろう。後日わかった事だが、我が家には焼夷弾が29発落ちていた。戦争の恐ろしさだ。
その頃、我が家では猫も飼っていた。何しろ古い話なので、何故その猫が我が家にいたのかの記憶はない。姉達に聞いても、迷い込んで来た説、姉の一人かがもらってきた説があり、はっきりした事は分からない。私のおぼろげな記憶、姉達の話でも立派な三毛猫だったような気がする。
その猫が“ヘンメンキョウ”という不思議な名前で呼ばれていた事だけを強く記憶している。
“ヘンメンキョウ”という名前の由来も定かではないが、変わった事の好きな父が所有していたインド軍歌の歌詞からとったらしい。
当時のインドは英国の植民地で日本の敵国だった。
ヤーゴ ヤゴ ヤゴヘンメンキョウ ウヘンメンキョウ
私もその歌の一節だけは覚えているが、そのレコードも戦災で焼失してしまったので確かめようもない。そのヘンメンキョウも空襲の後は行方不明。
私の記憶にはないのだが、姉達の話ではヘンメンキョウとは別の仔猫がその頃、玄関先に棄てられていたとの事だ。戦争がたけなわとなり米軍の空襲が始まった為に、それまで居てくれたお手伝いさんが里に帰ってしまった。その際、その捨て猫を自分の田舎に連れ帰った。お手伝いさんが、田舎に連れ帰った捨て猫だけは無事だった。
棄てられていた猫は命をながらえ、飼われていた猫犬は無残にも焼死、サモエドは豊かな毛皮故に軍用のため皮を剥がれて殺された。
人間、動物共に、その運命は計りしれない。

おぼろげな記憶のヘンメンキョウ(想像写真) 
         2014年9月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮