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第63話「プリンチャマ
 さて、十年一日と言う言葉があるが、私は藤沢で開業して以来、五十年一日の如き生活を送っている。診療は午前9時~午後8時迄、傘寿を迎えてもなお開業当初と同じ時間帯の診療を続けているのは、私が所属している藤沢市医師会では私だけのようだ。それが出来るのも、平和な家庭、優しいスタッフに囲まれているからだろう。
これからご紹介する愛犬プリン(パピヨン)の存在も私の癒しの根源として欠かせない。今やプリンは完全に家族の一員だ。
何でも“適当に”、ということが人生に大切だという言葉を何かの本で読んだが、愛犬プリンへの愛情は適当の範囲を大きく逸脱したようだ。家族やスタッフから、常規を逸していると批判されている。
プリンも私を完全に掌握したと自信をもったのか、最近では、愛犬、というより愛人のようにふるまっている。私も24時間一緒にじゃれあっていたいのだが、私には診察という義務がある。まさか、ダッコしながら患者さんに接するわけにいかない。私が診察している間、二階の院長室にプリンを放置しておくのが可愛そうでならなかった。然し、私は良い人との出会いに恵まれているのか、犬好きの人に知り合って、院長室でプリンの世話をお願いする契約をした。もう、10年以上プリンは母親のようにその人になついている。その育ての親との契約は、後40年(4年ではない)残っているから安心だ。しかし、夜、自宅に帰ってからが大変だ。私が食事を始めると、独特のプリン語で叫びだす。“早く食事をやめて、パパの部屋に行こう”、との催促だ。その叫び声がだんだんと大きくなって来たために、私は5分で夕食を終わらせなければならない。ゆっくり時間をかけて、食事を味わうことなど不可能だ。食後のコーヒーもぬるくして流し込みだ。そして、自室でプリンを撫で続けなければならない。
 プリンは完全に私の可愛いストーカーだ。
朝日新聞の川柳に、
 
というのが載っていたが、まさに私も同感だ。
 
何故、プリンと私が犬と人間という異なる種に生まれたのか、私はプリンを見ながら涙を流してしまう。
シェクスピアの名言を拝借すれば、


         2015年1月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮