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第67話「三田文学
 

 本年1月、三田文学(慶応文学科・創刊105年・慶応大学文学部で刊行された文芸雑誌で、日本国で一番長く存続している文芸慶応大学雑誌 )から、デジタル版への収録許可のお願いという手紙が届いた。私の著作が雄松堂書店でデジタル版に収録されるという内容だ。私の“余話”が版を重ねたので、その価値を三田文学が認めてくれたのかと思い小躍りしたが、全くの勘違いだった。三田文学に電話で問い合わせた所、昭和18年(1943年)に私が小学生の時に書いた作文を三田文学がとりあげてくださったのだ。
何故、今頃?――私にはわからない。自分の書いた作文だからここに掲載しても盗用にはならないだろう。作文は長文なので略記する。
    三年 矢野潮
 塾出身のお兄様方は南ですか北ですか。はげしい戦いの後でお読みになり、少しでもお喜びくださるように、僕は一生懸命で書きました。
僕は“お書き初め”を持って学校に行きました。お兄様はこのお書き初めの題があてられますか。「一億進軍」です。一億進軍して米英をやってける勇ましいでしょう。一億といえば日本人全体のことです。お兄様方は兵隊さんとして進軍していますが、僕達子供はどう進軍しているのでしょうか。生まれたての赤ちゃんは進軍していないでしょう。お父様に質問すると、大笑いされました。「子供の進軍は一生懸命で勉強し、よく遊び、丈夫に育つことだ。赤ちゃんの進軍はたくさんおっぱいを飲んで、早く大きくなることだ。」と、おっしゃいました。僕は、「なんだ、そんなら僕はとっくの昔から進軍していらあ。」と、安心しました。僕はとても丈夫です。勉強もよくするし、遊ぶことは、野球、水泳など、最大とくいです。

お父様は突然、「一億進軍より、十億進軍とするのだった。日本人はもちろんのこと、シナ、タイ、ビルマ人等全アジア民族の総進軍だ、十億の総進軍だ」とおっしゃいました。
僕の来年の“お書き初め”は、「十億総進軍」とします。
ではお体をお大切に、ごふんとうをお願いいたします。


 以上、三田文学から送られて来た大昔の作文を略記したが、私には全く記憶がないし、父親の手伝いが見え見えで恥ずかしい。又、いくら戦時色豊かなこの時代でも、アメリカ帰りのアメリカかぶれの父親がかなり無理をして作った作文のような気がする。
この作文を書いた昭和18年はNHKの朝ドラ「マッサン」2月23日放映の学徒出陣も同じ年だ。日本中が戦時色にそまっていたが、未だ国内には空襲などの戦禍は及んでいなかった。挿入した私の写真は野球を校庭でプレイしているところだが、何故、敵国のスポーツを学校の校庭で行えたのか、今となっては不思議だ。職業野球(現在のプロ野球)もその頃は、既に国策で中断していたと思う。
「欲しがりません勝つまでは」が、合い言葉の時代だ。
その2年後(70年前)、米軍の空襲が始まり、東京で約10万人の人が亡くなった。私の東京の家も焼夷弾で焼失している。その悲劇さえ、自分の作文を読み返すまで、すっかり忘れていた。
今の若い人は、アメリカと日本が同盟してロシアと戦ったのが第二次大戦だと思い込んでいる人が多いと聞く。戦争の語り部が減ったのか原因だろうが、あの悲惨な戦争の事など忘れて、国民全体が平和ぼけしても、戦争などないほうが良いに決まっている。



         2015年5月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮