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第68話「果物アレルギー
 
 一つの林檎

 「たった一の林檎が人の命を奪った!」
私が慶応医学部の学生時代、皮膚科学教授が食物アレルギーのおそろしさを強調なさった講義の一節だ。

さて、開業して50年近く地域密着型開業医として患者さんに接していると、当然おなじみの患者さんがふえてくる。
「又、見えたの、元気?」 「元気よ。先生も元気そうね。ほっとしたわ。」 「元気ならこんな所に来る必要ないじゃない」 「先生の意地悪、いつもの薬を欲しいから来たのよ」
このわけの解らない会話でスタートする患者さんは、私が開業当初から診ている重症の杉花粉症の女性だ。
私は密かに、「花粉の女王」、と名付けている。当初、杉花粉飛散期のその患者さんの鼻粘膜の浮腫(むくみ)状態は類を見ぬほどにひどかった。然し、その方も年齢を重ねるにつれ、年ごとに花粉症状が軽くなっていった。年のせいで、「花粉にも反応しなくなった、喜ばしい事だ」、と二人で笑いあっている。
“然し、一難去って、又、一難”、数年前からその方に果物アレルギーが発症した。
 果物:リンゴ、モモ、トマト、メロン、スイカ等――。
この方は、上記の果物を食べると、口腔内のかゆみ、違和感がおこるという。典型的な口腔アレルギー症候群だ。年の功か予知能力が発達して、危ない食べ物は 自然に避けるようになり大事にいたった事はない。この方は別にして、体にあわない食べ物(果物、魚類、ソバ等)を食べて、全身の発疹(蕁麻疹)、唇、瞼の むくみ等を起こす事がある。このむくみの事をクインケ氏浮腫という。唇や瞼のむくみは半日位で自然に消えるから、患者さんは驚くが心配はない。


 唇のむくみ
然し、この発作がノドの奥や、喉頭におこると呼吸が苦しくなりショック症状を起こす事がある。放置すると、呼吸停止から死亡する危険もある。私のクリニックでも二人程、入院設備のある病院に救急搬送した経験がある。
 口腔粘膜のむくみ
 
 喉頭粘膜のむくみ
救急病院に搬送
果物は、ケーキの中にひそかに入っていたり、ソバ粉がうどんの中にもまっている事もある。うどんを製造している時にソバ粉が混入するのだそうだ。学校給食で、ソバ類を食べた生徒が死亡した話は有名だ。給食を供する学校側の注意も必要だが。両親に弁当を持たせる位の配慮を求とめることも必要だろう。
アレルギー発作は食べ物だけではなく、薬品、草花でもおこるのは一般に知られている。最近では、ちゃどくが有名だ。
学生時代の皮膚科学の講義で、“一つの林檎”に続いて記憶に強く残っているのは漆カブレだ。最近、漆カブレがあまり聞かれないのは、漆の茶器の使用頻度が減ったためだろう。
然し、偶然の事だがNHKの朝ドラ“まれ”で漆カブレの話がとりあげられているのを見て、皮膚科学教授の講義を思い出した。精神的因子(思い込み)が、皮膚のアレルギー(アトピ-等)に強く関与している。その一例として、漆カブレの患者さんに目隠しをして、「漆の木でない事」を思い込ませてから、漆の木に触れさせてもカブレず、目隠しをしたまま、「今度はウルシの木だ」、と信じさせて、別種の木に触れさせると見事にカブレルという講義内容だ。その真似をして、私の同級生の皮膚科医が新人医師の頃、患者さんに目隠をして、漆の茶器に触れさせたら、ひどくかぶれて恨まれたという。

私がその皮膚科医をからかった言葉





付録:冒頭の“一つの林檎”は林檎ではない。有名パティシエが林檎の様に作ったケーキだ。林檎の成分は入っていない。
“一つの林檎”で、林檎アレルギーの人が発作を起こすかどうかは実験していないので残念ながら不明。


朝ドラの主人公のまれが、“一つの林檎”をつくれるような一流のパティシエになれるかどうか楽しみだ。


 
 
         2015年6月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮