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第84話「エスカレーター」
 
 先日、ある一流新聞の投書欄にエスカレーターの混雑を緩和するために、左側に並ぶのが原則で、右側は急ぐ者のためにあけるべきだという意見が掲載されていた。尚、8月発行の某週刊誌にもエスカレーターの乗り方が特集されていた。
急ぐ人がエスカレーターの右側を駆け上がるためだという。私はこの意見には大反対だ。五体満足な人の傲慢な意見だという他はない。
高齢化社会の到来と共に、肢体不自由な方が増えている。四肢の不自由な方は勿論、高齢のためにステッキを使用している方は空いている方の手で、ベルトを持たなければならない。
知人(85才の女性)は、幼児期に罹患した小児麻痺(ポリオ)の後遺症による左手完全麻痺、左下肢の不全麻痺のために、右側のベルトをつかまなければエスカレーターを利用できない。駅構内のエレベーターは一カ所のために、混雑時はそこまで歩いて行く事も大変だとこぼしていた。
エスカレーターを駆け上がれるような人は階段を走ればよいのだ。ウサインボルトになれなくても、自分の脚力増加に大いにつながるだろう。
 
 走る ウサインボルト
そして、自分の体に異変が起こった時、私の言葉が理解できるだろう。
 そこで、かなり前のカナダ旅行の事を思い出す。私がカナダのバンクーバーで、心を打たれたのはその美しい景色でもなく、食事のおいしさでもない。バンクーバーを散策して直ぐに気がついたのは、町中に、車椅子の人が非常に多かったことだ。日本に比べて、肢体不自由な人が多いのではなくて、町の造作がバリアフリーになっているため外出しやすいからだろう。そして町の人々がさりげなく車椅子の人に手をかしているのが印象に残った。
 
そして、帰国するための客船に乗る時、デッキから港にかけられた急斜面のタラップで乗船するために行列していた私の前に、車椅子の老婦人が介助の若い女性と共に並んで居た。その二人は桟橋の急斜面に困惑している様子だった。
 
私も手を貸したかったが、私自身、車椅子を押し上げる自信がなかった。その時、行列の後部にいた男性が、その急斜面を苦もなく車椅子押し上げ、何事もなかったようにタラップをおりて来て、行列の後部に戻った。私は、体力の差とはいえ、その青年のかっこ良さに見とれた。彼の手はどこからともなくあらわれた天使の手に違いない。例え、体力があった若い時代であったとしても、私は彼と同じ行動をとれたかどうか自信はない。
それに反して、某大学病院の院内で、車椅子の患者さんが廊下を曲がれずに難渋していた時、廊下を通る医師も看護師も誰も手を貸さなかったと云う話を聞いて哀しくなった。
 カナダの風景の美しさよりも、人々の心の優しさに感動した私は、それ以後、矢野耳鼻咽喉科の雰囲気に“カナダ風の心優しさ”を少しでも取り入れるように試みている。

体の不自由な方、極めて高齢な方、六ヶ月未満の赤ちゃん、妊婦さん、付き添いのお母様が妊娠しているお子さんは、正規の順番より早めに診察するようにしている。
 又、受験生は貴重な勉強時間を無駄にしないように待ち時間を短く配慮している。

 




後記;
*知人のカナダ在住の日本人に確かめたが、カナダでは日本より助け合いの精神がはるかに進んでいるという。

*大阪以西は、エスカレーターには右側に乗るのが原則だという事を聞いたが正確な事は知らない。
       2016年10月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮