掲 載 一 覧 最 新 号
第91話「医師の視線」

 最近、「はしご受診は医師にも責任」、と題した読者の投稿を一流新聞で読んだ。この投稿の趣旨は、「自分の病気がどのくらいで治るのか、今後の治療はどうなるのかを、具体的に相談したいのに説明してくれない医師が多い。更に、様子を見ましょう、もう少しかかるでしょう、という医師のあいまいな言葉に不満を感じる。又、視線を合わせないで、横を見て話をする医師が多い。」、ということのようだ。
この投稿者の意見は、一部正しく、一部正しくない。勿論、高度の精密検査を一刻も早く行い、病因を早く突き止めなければならない場合もある。然し、病気には自然治癒することも多いので、「少し様子を見ましょう」、は決して無責任な言葉ではない。更に例をあげると、例えば高齢者の腰痛を診察した時、一生治りませんよと突き放すことは、患者さんを一気に奈落の底に突き落とすことになる。もう少しかかるでしょうとぼやかすのは、私は医師の無責任とは思えない。癌などの悪性度の高い病気はそれなりの対応をしなければならない。
反面、顔を向けて話しをしてくれない医師が多いという患者さんの不満が増えたのも事実だ。“横を見て話をする方が患者さんの心をやわらげる”、と信じている非常識きわまりない医師もいる。これは論外だ。最近の医師は患者さんに向き合い説明する時間が十分にとれないことも事実だ。いざと言う時の医療訴訟防止のために、カルテの記載を十分にしなければならない。又、この頃多く導入されている電子カルテになれていない医師は、キーボードを打つ行為に悪戦苦闘で患者さんに向き合う暇がないという。しかし、電子カルテの進歩も著しい。近い将来、私のクリニックにも電子カルテを導入する予定だが、電子カルテに使われるタイピストにはならず、患者さんと視線を合わせて話す人間らしい医師であり続けたいと思う。

ここまで書いて、20年以上前のエピソードを思い出した。藤沢市医師会の学術講演会(耳鼻科医会ではない)に出席した時、演者(某大学教授)が、医師は病気の説明をする際に患者さんの顔を見て話しをするのは良くない。患者さんは、ただでさえ医師に緊張して接しているのだから、目を合わせないようにして対話するべきだ。
演者の話に私は絶対に反対だ。講演終了後、質問しようと思ったが、耳鼻科学会ではなくて、他科の講演会だったので、その方面の質問が殺到した。残念ながら私には質問する時間を与えられなかった。
人と話をする時、相手の眼を見て、話をするのが礼儀の基本だ。
私達は、やましいことがない限り、相手の眼をみつめてものを言えと教育されている。
 
非常識な教授の言葉に私は小さな怒りさえ感じた。尚、講演の最後を教授はくだらないジョークで締めくくった。
「恋人の顔をまともに見て、プロポーズはしないだろう。それと同じだ。」




追記:最近、視線という言葉を使わず目線という言葉を使うようになったようだが、私は目線よりも視線の方が正しい日本語のような気がする。基本的なマナー、日本語も共に崩れていくのが嘆かわしい。
尚、北アフリカのある地方では初対面の人と話をする時は、視線を相手の顔でなく、頸の辺りに会わせるのが礼儀だという話を聞いた

       2017年5月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮