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第103話「傷つけられたプライド」

 私は生涯に三回、忘れる事の出来ない程、深くプライドを傷つけられた事がある。
 慶応幼稚舎時代

最初は、医師になりたての2年目、済生会宇都宮病院に赴任していた時のことだ。その頃は今と違い製薬会社も景気が良かったのだろう。某製薬会社の宣伝部に所属していた女子野球部が、有力病院との親善試合のために全国を転戦していた。私が勤務していた済生会宇都宮病院と対戦したのは、三共レッドソクスだったと記憶している。
私は子供の頃、草野球、夏は鵠沼海岸で砂野球(ビーチベースボール)を楽しむ野球少年だった。バッティングも好きだったが、仲間の中では無類の強肩を誇っていた。普通部(慶応の中学校)に入学した時は、野球部の勧誘が来たほどだ。然し、どうしても水泳部に入れと言う父の希望があり野球部はあきらめた。この事はどうでも良い。私が親の言いつけには従う素直な性格だったという事を強調したいだけだ。
三共レッドソクスが宇都宮に来ると決まってから、私は対戦が楽しみで興奮した。病院側は野球好きの医師、とレントゲン技師、事務職員をかき集め即席チームを構成した。勿論男性だけだ。当日の先発投手は光栄にも私に決まった。私は良いところを見せようと思い、妻(当時は婚約者)を招待した。結果は無残にもノックアウト。打撃も全く当たらず、チームもコテンパンに負けた。情けないところを将来の妻に見せてしまった。男の奢りかも知れないが、野球で女子に負けた事は深い心の傷になった。それ以後、野球のグラブにさわった事もない。
それから10年以上たち、私は独立して善行で耳鼻咽喉科クリニックを開業した。その頃は、レセプトコンピューターは勿論なく、いわゆるレセプト(保険請求)は手書きだった。算盤の出来ない私は、月末・月初は徹夜の連続だった。しばらくして、加算機を購入した。今では信じられない事かも知れないが、その頃の加算機は計算が不正確(旧国鉄の関連会社の加算機で、販売会社が欠陥品と認めた)で頭が狂いそうになった。あの地獄の苦労は思い出したくない。
「パパは患者さんを診察する時より、計算の方が一生懸命ね!」、
疲労困憊の私に投げかけた長女ゆかり(現在の副院長・当時幼稚園児)の痛烈な言葉だ。「パパは診察には自信があるが、計算が苦手なのだ。」その反論は幼稚園児の心にはとどかなかったようだ。空虚な言葉として、自分のプライドを傷つけるのみで終わった。
更に数年たち、今、私の医院でレーザーを専門に施行している次女さゆりを連れ、妻と3人で銀座に行った。さゆりが高校生の頃だった思う。私の医学部同級生の女医に偶然出会ったので、一緒に食事をした。その友人がお世辞のつもりで言ったのだろう。「さゆりちゃん、あなたのパパは学生時代、成績がすごく優秀だったのよ!」。
さゆりの返事、「私にはそうは思えません。今、父に勉強の事を質問しても、何も返事出来ません。」私の心は深く傷ついた。
人間の持つ最も偉大な能力は、“忘れる事が出来る”、ことだという。
生まれてからの事を全部記憶していたら、人間の脳は破壊されてしまうだろう。特に嫌な事は優先的に忘れるようになっているらしい。
然し、私のプライドを傷つけた三つのエピソードは、今でも私の心に深い爪痕を残している。私が愛する三人の女性、即ち妻、長女、次女が関与しているからだろうか。
プライドを傷つけた三つのエピソードは、今でも私の心に深い爪痕を残している。
“エビングハウス(19世紀のドイツの心理学者)の実験によれば人間は、20分後に42% 1時間後に50%以上 6日後に76%以上忘れる”、という。





       2018年5月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮