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第110話「五十年一日」

 日本耳鼻咽喉科学会神奈川県地方部会から、「長寿会員」として表彰された。
私は1969年に藤沢市善行で開業した。私がその地を選んだのは、青春時代を過ごした湘南地方に愛着があった事と、鵠沼海岸で開業している疋田眼科の院長(疋田昌子・私の実姉)のアドバイスによる。資金面、精神面でも姉の援助があった。
そして、私の開業と殆ど同時期に、東海大学病院が伊勢原に設立され、その耳鼻咽喉科の初代教授として三宅浩郷先生が慶応から赴任された。三宅教授とのお付き合いは古い。      
私が、1941年に慶応幼稚舎に入学した時の担任が三宅武雄先生(三宅教授の御尊父)だった。戦中、戦後の混乱期にも三宅先生ご家族との交流は続いた。その詳細を書いたら、一冊の本が出来るだろう。
 三宅教授のアドバイスで、私は東海大学の勉強会に出席し、東海大学の先生方と親交を結ぶことが出来た。
開業直後から、順調に患者数は増加したが、小児の患者さんが多いのに驚き困惑した。困惑の理由は、明らかな小児科的疾患が多く含まれている事だった。私は直ぐに優秀な小児科医と緊密な連携を結んだ。藤沢市及び周辺は診診連携・病診連携が充実している。
 医学部時代の小児科学教授の第一声
「子どもは大人の小さいのではない。全く異なる生物だ」。「医師は自分の専門分野以外に手を出す便利屋にはなるな。守備範囲を決めよ!」

今、思い出しても素晴らしい名講義だ。
現在は、ゆかり副院長(長女)が、私と共に診療し、さゆり医師(次女)も近々戻ってくる。そして、二人で私の診療所を継承することを約束している。

私は今でも開業当初と同じ診療時間を毎日こなしている。生涯現役、先発完投を目指すつもりだ。
 好きな事に関わっての“五十年一日”、私の生涯は幸福と言えるだろう。



       2018年12月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮