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第112話「解剖実習」

 ご遺体への献花
「医学を志す諸君にとって、解剖学はその基礎である。生涯、人の病気に関わる諸君は、人体の構造を隅々まで正確に記憶しなければならない。これから、解剖実習を始める。諸君の前のご遺体に敬意を払うべし。」
解剖実習室での望月周三郎教授の第一声だ。
 こうして、医学生にとって最初にして最大の難関である解剖実習が始まった。1955年秋のことである。
 私は、遺体に触れるのは初めてではなかった。その夏休みに、東大医学部の友達に誘われて、東大医学部の解剖教室で、同大学の解剖学教授に解剖の基礎を教えていただいていた。解剖に供される遺体が少なかったその時代、他大学の医学生にその機会を与えて下さった東大の教授は希に見る心のひろやかなお人柄だったのだろう。今でも感謝している。
さて、私は遺体に触れるのに恐怖感は持たなかったが、クラスメイトの女性(今では立派な女医になっている)が、遺体を見た瞬間失神した。他の同級生も緊張の余り震えていたようだ。然し慣れとはおそろしいものだ。皆直ぐに、皆解剖教室で、昼食を食べるようになった。それを、望月教授に見つかり、怒られると思ったら、「皆、一人前の医学生になったな」、と褒められた事をはっきりと覚えている。
二体を半年の間に解剖して、遺体の前で教授から口頭試問形式のテストを受けなければならない。人体の骨の数・200以上、関節・260 筋肉・350以上の名称、複雑な内臓、頭蓋内の、血管の走行まで暗記しなかればテストに合格しない。医学部生活でもっとも充実した時期だったかもしれない。青春時代のクリスマスイブを解剖学教室で徹夜したことも今では楽しい思い出だ。

私の左手の下は御遺体です。ご遺体のため、ぼやかしてあります

 
この写真もご遺体の部分はぼやかしてあります。 
この写真の右の友人は医学会のエリートの道を歩み、今では、健康医療戦略室長(「内閣官房内」として活躍している。彼は彼の人生を歩み、私は開業医の道を力一杯生きている。今でも無二の友人だ。

 
解剖実習終了後、クラス一同で解剖教室に花を飾り慰霊した 

       2019年3月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮