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第113話「私は悪筆」

 私の欠点は救いがたい音痴と悪筆の二つだ、と自分では思っている。だが友人は、私には他にも欠点が多々あるというが。然し私自身は他の事は自分の個性だと達観している。
音痴は歌わねばすむが、字は書かないわけにはいかない。悪筆は音痴以上の深刻な問題だ。只、救いは同業者である医師に悪筆者が多いということだ。
日頃から感じているのだが、一応大学教育を受けた職種の中で、医師程悪筆の多い集団はないだろう。勿論一般論のことで、
医師の中にも達筆な方はいる。この方々には最初からお詫びしておく。
子供の頃から私は字がへただった。私の字がへたなのは、勿論私自身の責任だが、私の父親の教育方針にも問題があった。慶応高校時代、私の字のへたなのを心配して下さった漢文の先生から、時間外に、習字の個人教授をしてくださるという好意あふれるお申し出があった。それを医学部進学には理数系の勉強のほうが必要だという理由で父が断ってしまった。あの時習字を習っておけば良かったと思うが後の祭りだ。
 
友人医師の万年筆コレクション
これも昔の話だが医学部時代、英語の答案用紙を教授から返された時、「矢野君の英訳は良くできているが、もう少し読める字で書くように!」、と注意されたこともある。
今でもまともな字が書けない。自分の書いた字が自分自身で読めないで困ることもよくある。カルテの記載、診断書、公的書類を書いた後で読み直すと恥ずかしくなる。
約30年ほど前だろうか、三宅東海大学耳鼻咽喉科教授(慶応医学部時代からの恩師)から、オアシスのワープロの使用をすすめられた。当時の価格で100万円以上したと思う。タイプなど打った経験のない私は、死にものぐるいでキーボ-ドにとりくんだ。その頃は私も未だ若かったのでブラインドタッチで直ぐに打てるようになった。その教授に、「先生にお願いする患者さんの紹介状をワ-プロで打っては失礼ではないですか?」、と質問したところ、「君のきたない字の紹介状よりはるかに良い」、と一笑にふされた。
くせ字の医師が多いので、医療機関同士の紹介状、その返事は解読するのが困難なことが多い。お互い様だ。
事実、介護保険の認定委員会は、介護士、保健所職員、医師から提出され書類を資料として委員会で認定するのだが、医師からの書類があまりの悪筆のため委員会でもてあまし、医師会に“読める字”で書いて欲しいという要請があり、医師会から我々の所に「誰でも読める字で書け!」という注意のファックスがきたことがある。
 
その解決策として、最近ではパソコンのワープロ機能を使って紹介状、返事、診断書等を打つ医師が多くなった。私は診察中には自分でパソコンに触る暇はないので、内容をメモ用紙に書きスタッフに渡して打ってもらうようにした。然し、スタッフ達はメモ用紙に書きなぐる私の字が読めないとこぼすので、最近では私の口述をスタッフがメモに書いている。お世話様。
ここまで書いて思い出したのだが、私が愛読している曾野綾子氏のエッセイの中に、曾野氏自身が原稿をワープロで打つと書いてあった。その理由として、訂正が自由にできることと、編集者が原稿を読みやすいようにと述べている。更に、手書きでなければ、自分の原稿に魂が入らないからワープロを使用しないという他の作家の事を皮肉り、その作家は単にワープロを使えないだけのことだと切って捨てている。この言葉を力に私もこの原稿もワープロを使用して書いている。大作家としろうとの低次元の作文を同列のように述べるのは汗顔のいたりだ。
この作文は夜書いたのだが、偶然、翌朝の朝日新聞の天声人語に、全く反対の意見がのせてあった。曰く、手書き原稿は迫力が静かに伝わってくる。例えば、「死」をsiと打てば、重みも実感も薄れる心地がすると述べ、万年筆の使用をすすめている。
 

今後、ワープロを選ぶべきか万年筆を選ぶか、私の心は揺れ動く。優柔不断な私には決心がつかない。
この優柔不断こそが、私自身が密かに感じている最大の欠点かもしれない。

       2019年4月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮