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第114話「私は音痴」

 曾野綾子氏のエッセイ「誰のために愛するか」の中に次の一文がある。
世界的な偉人、天才達も人知れずに悩んだコンプレックスがあった。
有名な例では、雄弁家であるデモストネルは実際には吃逆(吃り・差別用語)、ダーウインは病弱、スウイフトは自分の才能が人にわからないとい う点で、フロイドは広場恐怖症、チャーチルとトルストイは不器量コンプレックスに苦しんでいたという。

世界史に名を残す人達に並べて私自身の事を書くのはいささか気が引けるが、私が持つ最大のコンプレックスは人並みはずれた音痴であることだ。
“音痴・調子外れ”、それは私にとって生涯の心の傷になった。
私は、人前で“ハトポッポ”を歌うことも出来ない。勿論、カラオケなどに行ったこともない。
私の声帯は強く、人並み以上の肺活量があるため、長時間続けて大きな声で話すことは可能だ。
耳鼻咽喉科医として、プロの声楽家、著名な詩吟の先生、浪曲家、落語家等の発声異常の診断治療を長年にわたり経験した。その方々に私が音痴である事をうちあけると、私の声量が豊かな点をほめ、歌えないはずはないとなぐさめてくださる。
然し、いくら大きな声が出てもフシがつかない以上どうしようもない。
私の音痴は、もちろん生まれつきのものだろうが、小学生時代に受けた音楽教育のありかたにも問題があったと思う。
私の不幸は後年、著名な音楽家になった三保敬太郎君(ミホケイ・故人)が同級生にいた事だ。彼は、東京オリンピックのテーマミュージックを作曲した程の音楽家で私の親友だった。
当時の音楽の授業では、音楽の先生が生徒を教壇の前で立たせて、先生の弾くピアノに合わせて唱歌を歌わせた。
音楽の先生は、三保君にはくり返し歌わせて聞きほれる素振りをお見せになるのに、私の時はうんざりするのか途中で打ち切るのが常だった。そして、「三保君は幼稚舎(慶応の小学校)始まって以来の美声の持ち主、それに反して矢野君の音痴は救いがたい」、と言われたことをはっきりと記憶している。
その頃から音楽教室に行くのは屠殺場にひかれていく牛の気持ちも「カクヤアルラン」、といったところだった。
音楽がそれ以来、大嫌いになった私は、音符(オタマジャクシ)も生涯理解する事が出来なかった。



今の私は自分の音痴など気にもしていないが、若い時は人には知られたくない大きなコンプレックスだった。
じょうずでなくても良い、人並みに歌えればどんなにか自分の人生に彩りを添えられたかと思うと一抹のさびしさを感じる。
カラオケの先生の門を叩くことも考えたが恥ずかしくて止めた。
「“成せば成る”のは大嘘で、“成しても成らぬ”、事が多いのが人生だ!」、という言葉を曾野綾子氏のエッセイで読み、残念だが音痴と生涯つきあうことにした。自分らしい欠点は誰でも残しておけばよいのだ、と達観した。



          2019年5月1日
矢野耳鼻咽喉科院長医学博士  矢野 潮