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第128話「早慶戦」

 私が子供の頃は娯楽が少なく、プロ野球も職業野球と呼ばれ、今のような人気はなかった。王、長嶋が活躍するはるか以前のことだ。
私が幼稚舎(慶応の小学校)、普通部(中学校)の頃は、六大学野球の全盛時代で、特に早慶戦が最高のイベントだった。
 
何処かに私がいるかな?
野球は前シーズンの勝率によって、日程、組み合わせが決まる仕組みだ。それなのに、早慶戦のみはそのシーズンの最終戦と決められていた。ある年、明治大学、法政大学、立教大学から、早慶戦も順位で決めるべきだと云うクレームがついた。然し、東大が早慶戦は最終戦のままが良いとの説をとなえたために、早慶戦が最終との慣例は守られた。
幼稚舎出身の私は純粋の慶応ボーイだ。幼稚舎出身者は、特に幼稚舎ボーイといわれ、慶応の中でも特別扱いされた。
 幼稚舎の制服姿
私が幼稚舎ボーイだった頃、舎長(校長)に他学校の先生が赴任なさった。「早慶戦などくだらない」と、発言して総スカンをくらったことがある。何しろ、早慶戦に負けると、涙を流す幼稚舎生が大勢いた頃の話だ。
一度、早慶戦で一週間学校が休みになった事がある。高校生の頃だ。
一勝一負で迎えた決勝戦は延長の上、引き分け。再試合は雨で順延、神宮球場で出欠席をとろうという話が出たほどだ。どちらが勝ったかは忘れたが、連日の野球観戦でくたびれたこと事は記憶している。

 
 高校時代 
慶応勢の三色旗のソックスに白線が入っているのは覚えている。過去に完全試合をした時の記念だとの事だ。
 
小泉信三氏(慶応医学部の設立者・福沢諭吉先生の高弟)と、大熊重信氏との話し合いで早稲田は医学部の代わりに政治学部を創ったというが、本当のことは知らない。



         2020年11月1日
矢野耳鼻咽喉科院長医学博士 矢野 潮