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   第六話「経験から学ぶ医療」


 医師はその専門知識を医学部の講義、大学病院および関連病院での実地研修、学会、研究会、医学書等から学ぶ。然し、長年の開業医生活で多くの患者さんに接しているうちに、重要な経験的知識を自然に習得することが出来る。以下、私の経験が役立った実例をご紹介する。
「2年以上前から、耳の中でガサガサ音がして、気になって仕方がないが怖くて耳鼻科を受診することができない。悪い病気だろうか?」、と未知の患者さんから電話相談を受けたことがある。「耳の中に髪の毛が入っているのでしょう。取り除けば、なおりますから怖からずに診察においでください」、という私の返事で非常におくびょうな中年の女性患者さんが友達につきそわれて来院。私が予想したとおり耳の中に2cmほどの長さの髪の毛が1本あり。1秒で除去。「この2年間の苦しみは何だったのでしょう。早く診察を受ければよかった。電話だけでなぜ髪の毛とわかったのですか?」これが患者さんの質問だ。実は耳の中でガサガサ音がしたら、髪の毛が入っていることが多いという事を私は経験的に知っていたのだ。
鼓膜の手前に細い髪の毛が見えます
やはり中年の患者さん、「お恥ずかしいのですがーー」、私はそこで患者さんの言葉をさえぎり、「何の魚の骨を引っかけたのですか?」。患者さん、「何も言わないのにどうして魚の骨とわかったのですか?」
中年以後の女性から、「お恥ずかしいのですが」、という言葉がでたら、魚の骨をノドに引っかけたのにきまっている。これも私の経験だ。
次は、“口の中の苦さ”で悩んでいた患者さんの話だ。この方は、原因究明のために、大学病院で胃をはじめ全身の検査を受けたが、異常が見つからず困りきって私のところに相談に見えた。目薬を常用していることを問診で確かめ、2〜3日間、目薬の使用を中止して様子をみるようにアドバイスした。それだけのことで口の中の苦さが消えたと、私に深く感謝してくださった。私にとっては何でもないことだ。その少し前、私自身が目薬を使用してその苦さにおどろいた経験が役だったのだ。
“鼻の中の悪臭が強くなり、膿のような鼻汁がだんだんふえてくる。抗生物質やカゼ薬を長期のませているが効果がない”、と心配して幼児をつれてみえるお母様が時々おいでになる。話をうかがうだけで診断は簡単だ。鼻の中にチリ紙か、綿花を幼児自身がいたずらに入れて、それがくさってしまったのだ。ピンセットで取って終わり。そういういたずらをするのは2才の幼児に多い。
今回、私が書いたことは、臓器移植、癌の手術等から比べれば、小さな小さなことかもしれないが、然し一般の患者さん、開業医にとってはきわめて大切なことだと思う。
「矢野耳鼻咽喉科」の私の後継者である長女の副院長(ゆかり)、次女(さゆり)には、私の貴重な経験を詳しく伝授してある。二人が自分自身で会得する経験に、私から学んだものを加味して、私以上の優れた耳鼻科専門医になると信じている。

           2010年6月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮