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第二十七話「坂の上のクリニック」

 私は1959年に慶応義塾大学医学部を卒業後、慶応病院及びその関連病院で研究及び診療に従事しながら、医学博士号を収得した。慶應義塾大学病院を退職した後、慶応系の有名な開業医の病院で、“開業医としての医療”のあり方を学んだ。
開業医として独立する自信を得た私は、1969年秋に藤沢市善行稲荷神社の前で“矢野耳鼻咽喉科医院”を開設した。
開業に際しての全てのアドバイスは、私の実姉(鵠沼海岸の疋田眼科の院長)から受けた。この姉には今でも感謝の念を忘れてはいない。
 
その頃の善行は今と違い、田舎町で人口も少なく2700戸の善行団地以外、周辺の農家と善行台にまばらに家があるだけだった。
藤沢市内で開業している耳鼻咽喉科医の数も少なく僅か7人(今は20人以上)にすぎず、藤沢駅周辺から長後駅迄の耳鼻咽喉科診療所は私のところのみだった。勿論、藤沢市民病院も設立される前の話だ。
そのため、開業直後から来院患者さんの数が多く、待合室に入りきれない子供の患者さんが、善行稲荷神社の境内で遊び回り、町内の人からで注意された事も再三あった。
 
歳月が流れ、長女が大学病院での修行を終わり、耳鼻咽喉科専門医の認定をうけ、私と共に診療をすることになった。ゆかり副院長の誕生だ。次女さゆりも大学病院で耳鼻科咽喉科の修行を始め、ゆくゆくは3人で診療をする計画をたてた。そのため、善行駅の近くにクリニックを移転する事を考え、1998年に今の所に移転した。旧診療所では私一人で28年間診療したことになる。
新診療所の医療器具はすべて新品を購入して、それまで使用していた医療器具は旧診療所に全て残してきたので、引っ越しは比較的簡単だったと記憶している。
12年前、診療所の移転があらかた終わった日の朝、最後の準備のため自宅から新診療所に徒歩で向かっている時、善行郵便局交差点から急坂の上にある新診療所を見上げると、空にはどんよりとした雲があった。そして最後の点検のためにその日の夕方、再度新診療所に向かいながら、空を見上げると綺麗な虹が空を飾っていた。
その時、私は新診療所を“坂の上のクリニック”と名付けた。私が大好きな作家司馬遼太郎氏の代表作“坂の上の雲”からヒントを得たことは言うまでもない。
 
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最初の診療所を開院してから、現在までの長い42年間の歳月を耳鼻咽喉科診療一筋に打ち込んでいる私の生き方は価値あることだと自分なりに満足しているのだが、それは甘い考えだろうか。
今日も私は、開業医の責務を果たすべく“坂の上のクリニック”に向かう。

            2012年1月1日
 矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮