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第82話「熟医」
 私は子供の頃から本を読むのが好きだった。
幼小児期は漫画(のらくろ上等兵など)、小学校高学年の頃は、亜細亜の曙、二十面相、アルセーヌルパン等を夢中で読んだ。中学・高校の頃は世界の名文学、恋愛小説に熱中した。その後は世界のミステリー小説を殆ど読破した。特に、エラリークインミステリーは今でもその内容・謎解きを覚えている程だ。その後、司馬文学のとりこになり、司馬遼太郎全集を3回以上くり返し読んだ。典型的な“司馬中毒”だ。最近は曽根綾子氏のエッセイを愛読している。
 
さて、以下本題に入る。
私のように、50年近く善行の地にクリニックを構え、診療をし続けていると、開業当初の患者さんが、久しぶりにみえる事がある。
「待合室で先生の元気そうな声がしてほっとしたわ。先生まだ現役なの?懐かしい!」。“開業医冥利につきる”と、考えながらも、顔をあわせると互いに年をとったとつくづく思う。
そこで、シーボルトオイネ(日本最初の女医・1827年~1903年)を主人公にした花神(司馬遼太郎著)の中の名言を思い出す。オイネが子供の頃に帰国してしまった父親のシーボルト(ドイツ人医師)に晩年再会する場面だ。
そこには、オイネが写真で目に焼き付けていた若い青年医師の姿はなく、老人が立たたずんでいるだけだった。

 
 8月5日(誕生日にスタッフから花束を贈られる)
久しぶりに見えた患者さんもそう感じているのだろうか。私は歳月を重ねたぶん、診療経験を深めている。会って良かったと思って頂きたい。
再び司馬遼太郎氏の代表作・燃えよ剣の一節に、“人は皆老いる”、とあるが、私は老いたのではなく熟したのだと思う事にしている。青二才の医師よりも経験豊かに熟した医師の方が信頼出来るだろう。

 

         2016年8月1日
矢野耳鼻咽喉科院長 医学博士 矢野 潮