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第116話「性善説 性悪説」

 「朝日新聞の天声人語に福井市の仁愛女子校が10年前から続けた傘の無料貸し出し活動「愛の傘」を終えることになった。借りたまま返さない人が多すぎた。」という記事があった。それを読み私は昔の事を思い出した。いつのことだったか、はっきりした記憶はないが、多分1950年位の事だったと思う。私が慶応の普通部(中学)の頃、湘南三四会(慶応の同窓会)の活動が盛んだった。仁愛女子高の活動と全く同じように、小田急鵠沼海岸の駅に貸し傘のコーナーを借り、雨降りの日に雨傘を貸し出す運動をした。
 
 ペンは慶應義塾の学章
 
しかしこの運動も長くは続かなかった。殆どの傘が返却されなかったのだ。傘を購入する資金がなくなり、この運動は中止せざるをえなかった。人を疑う事を知らなかった未熟な私達は、(何で?)というむなしい気がしたことだけを覚えている。
数年前、見知らぬ人の善意に感激した事がある。プリン姫の写真入りの財布を都内のどこかで紛失した。

 
財布のなかみの現金は僅かで、カードも入れてなかったので、損害はそれ程のことではない。だがプリンの財布を失ったショックでその夜は眠れなかった。然し、その翌朝、都内のタクシー会社から、財布を保管しているという電話があった。中に入れてあった名刺から私の自宅が判明したらしい。中身は勿論無事、タクシーの運転手さん、大切に保管して下さったタクシー会社に心から感謝した。
私の父はアメリカの大学を卒業したせいか、アメリカかぶれの強い人だった。第二次大戦中も典型的な非国民で軍隊が大嫌いな人だった。その父が溺れた水兵さんを助けた。1942年の夏、私達一家は鵠沼海岸の別荘にいた。その時、海軍が“泳げない水平さん”に泳ぎをしこむために、沖の方で船の上から海の中に水兵さんを投げこんだ。そしてその水平さんは当然の事、アップアップして危ないところ海辺に引き上げられた。それを見ていた父が義憤にかられて、我が家に連れて来て、介抱して蘇生させた。砂だらけの若い水兵さんだったことしか覚えていないが、その時言った父の言葉だけは、はっきり記憶している。「この若者に罪はない!」




          2019年7月1日
矢野耳鼻咽喉科院長医学博士  矢野 潮