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第75話「姉弟愛・姉妹愛」

おめで鯛の写真

私には、5人の姉がいる。私は6人姉弟の末弟だ。今でこそ皆年老いたが、若い頃は人目をひく仲の良い姉達だった。末弟の私を特に可愛がり特別扱いにしてくれた。

長姉は鵠沼海岸の疋田眼科の院長で、現在も一日に二冊の本を読破しパソコンにも堪能なスーパーウーマンだ。そして、私が開業の地を善行に見つけた時、資金面、精神面でも援助してくれた。私は今でもこの姉には頭があがらない。その詳細は、院長余話54話で述べているので、ここでは感謝している事のみ書いて終わりにする。
二番目の姉は特に心の優しい性格で、私の身のまわりを特に気遣ってくれた。“男の子のする事ではない”、と言って、ボタン付け靴磨き等全て引き受けてくれた。そのため、私は今でもボタン付けは出来ない。
某銀行の行員であった三番目の姉は、私が高校生になった時のお祝いに本格的な革靴(当時の高校生には珍しい)をプレゼントしてくれた。その銀行出入りの靴屋のすすめるままに、私は注文靴を作った。
 
 その値段は6000円。その値を聞いて姉が一瞬青ざめたのを私は覚えている。その時の姉の給与が幾らだったか知らないが、長い月賦で支払ったらしい。それから、約15年後に私が地方の病院に出張した時の初任給が22000円であった事を考えると、姉に悪い事をしたと今でも後悔している。
私が医師国家試験を受ける前夜、四番目の姉(故人)は、大きな鯛の塩焼きを、五番目の姉はショートケーキ(私の大好物)を同時に買ってきてくれたので、嬉しい悲鳴をあげた事を覚えている。

 

 今では、私がその年老いた姉達の健康管理をまかされている。


次は我が家の二人娘(ゆかり副院長・さゆり医師)の姉妹愛について述べる。二人は年齢差があるためか、はたから見ていていると、互いにそっけない。然し、約30年前のエピソードで私は二人の仲をみなおした。
車庫にとめてあったゆかり(今の副院長)の車が“当て逃げして逃亡した車だ“、と知らない女が警察に届けた。夜、警察官が私の自宅に調べにきた。後から聞いた話だが、ゆかりは自分の車が凹んでいるのを数日前から知っていて修理する予定だったという。運悪く警察官が来た時には、ゆかりが大学病院に乗って行ったために、我が家に車はなかった。警察の要請で夜10時過ぎに、我々夫婦と次女の3人で大学病院に車をとりに行き藤沢北警察に運んだ。車の中で私が、「長女が当て逃げ犯だったらどうしよう」、とつぼやいた。途端に次女が、「パパはお姉ちゃまが当て逃げをするような人と思っているのか!お姉ちゃまはそんな人ではない!」と、泣き出した。妹の言葉どうりで、警察では車を見ただけで無罪放免。後から聞くと、その女は当て逃げの常習的クレーマーだった。



 
         2016年1月1日
矢野耳鼻咽喉科院長  医学博士 矢野 潮